代わりにはなれないが
相手を「手助けしたい」という気持ちや考えを突き詰めると、「代わりにはなれない」という不可侵領域の存在に何度も気づかされます。
例えば、何かを学んでいく際、自分で新しい発見をすることは、他の誰も本人の代わりになれず、目の前のことに手が出せませんし、隅々までその発見の理解をすることはできません。
また、勉強を教えるというのは、その本質が大きく関係しています。代わりにはなれないから、自学力を高めることが大切だと発信する人がいるのだと理解しています。
教えること、手助けすることは、背中を守ったり、第3の目として、行動を共にするというのが本質なのだと思います。
心で一緒にいることが、助けることになり、うる。
その本質をふまえた中で、その近くて遠く儚い相手との距離感の中で自分がどう在るか、何ができるか。それは教える側、手助けしたい側の自分が自分自身の本領を発揮できるように邁進することなのだろう、そして、それもまた、代わりになれない本質なのだろうと思います。
ただ、そもそも、心が動く関係がなければ何も成立しませんし、言動の1つ1つが冷たさを纏ってしまいます。
茶昊